スイスが時計の聖地なのはどうして?

スイスが時計の聖地なのはどうして?

時計の聖地といえばスイスなのはもはや常識になっています。名立たるビッグブランドが拠点を構え、時計文化はスイスを軸に大きく発展していきました。今日はスイスがなぜ時計の聖地として発展していったのかを解説していきます。

2017.10.15

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時計の聖地としての歴史


時計といえばスイス、はもはや常識になっていますが、歴史は18世紀からなので比較的最近です。宗教革命でフランスからスイスへ逃げてきた宝石細工の職人たちが技術を応用した時計造りを始めたのが始まりと言われています。隠れるように屋根裏をアトリエとしてつくっていたので屋根裏部屋を意味するキャビネットから彼らのことをキャビノチェと呼んでいます。

その後主にジュラ山脈に沿ってブランドの創業が拡大し、スイスは国を挙げて時計産業を盛り上げることとしたのです。

ジュラ山脈、ジュネーブ、ラ・ショー・ド・フォンが有名

そういった歴史を背景にスイスの中でもフランス寄りの場所が中心地となっています。特にジュラ山脈、ジュネーブ、ラ・ショー・ド・フォンは時計造りの中心地ですが、かなりフランス寄りの地域です。ジュラ山脈とジュネーブでは多くのブランドが創業し、今でもジュネーブと文字盤に入れることが時計のステータスの象徴とも言われています。

ラ・ショー・ド・フォンは時計産業の発祥の地と言われており、街並みは時計造りがしやすいように碁盤の目のようになっています。

日本の時計がスイス時計業界を震撼させた


順風満帆そうなスイスの時計業界ですが、日本のメーカーが壊滅一歩手前まで追い込んだことがあります。それは1970頃に発売したセイコーのクオーツ時計です。(電池の時計)

それまで機械式時計だけをさながら伝統工芸のように続けていたスイス時計はクオーツ時計の安さ、便利さによって全く売れなくなりました。スイス全体の6割のメーカーが廃業したと言われるほどです。機械式時計の素晴らしさが再認識されたのは1980年代後半のことなので、まだ復興していないブランドもあるほどです。

生産の流れが変わった現代での聖地の意味


機械式時計の最盛期といわれる1960年代前後と現代では時計の生産の仕方が変わっています。以前は針は針メーカー、文字盤は文字盤メーカーからそれぞれ調達し組み上げていく横分業でしたが、現在はマニュファクチュールと呼ばれ一社で時計のすべてを造り上げるブランドが増えたのです。

結果、小さなサプライヤーは廃業になり大きな安定したサプライヤーだけが生き残りました。時計の聖地ならではの他の場所にはないサプライヤーや製品よりも安定したサプライヤーが残った現在を少しさみしく思う時計ファンは少なくありません。

日本は時計の聖地になれる?


ところで日本は時計の聖地になりうるのでしょうか。スイスを中心にヨーロッパで横分業と流通が盛んにおこなわれていたとき、日本は完全に乗り遅れていました。理由はシンプルに遠いからです。

しかし日本の職人がスイスへ赴き買ってきた機械式時計を参考に、一から日本だけで造り上げた胆力は流石日本人と言わざるをえません。SEIKO、CITIZENといえば世界的に有名な時計ブランドになっています。彼らを筆頭に盛り上げていくことができれば、今後時計の聖地が日本になる可能性も・・・?

ドイツは次の聖地候補!?


ドイツはスイスと同じくらいのスピードで時計産業が発展しました。しかしドイツは戦争とベルリンの壁によってブランドの多くが休眠状態にあったため、スイスよりも出遅れている印象になっています。

しかし技術は一級品。東ドイツのグラスヒュッテは約6割の人口が時計に従事しているまさしく時計の聖地です。A.ランゲ&ゾーネ、ヴェンペ、ノモス、グラスヒュッテオリジナルなどドイツを代表するブランドが揃っている中心地なのです。スイス時計が商業的になってきた今、新たに伝統を築いていくのはドイツかもしれません。

まとめ


今回は時計の聖地についてまとめました。現在は間違いなくスイスが時計の聖地ですし、時計産業がここまで盛り上がったのもスイスが第一人者です。

しかし体制が変わった今、日本やドイツなど時計産業を盛り上げようとする国がしっかりいる中で、新たな時計の聖地になりうる可能性は時計産業にとっては追い風、スイスにとってはピンチかもしれません。時計の聖地らしい矜持をスイスからもっと感じることができれば、もっと時計業界は面白くなっていくかもしれません。

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