ポーターのはじまり

吉田カバン創業者の吉田吉蔵(よしだきちぞう)は、1906年に神奈川県寒川町に生まれ、12歳という若さでカバン職人となるべく修行に身を投じました。17歳の吉蔵は、関東大震災時に紐の両端に家財を結び付けて肩からかけることにより、多くの荷物を運び出しています。この経験は、吉蔵に「カバンとは第一に荷物を運ぶ道具でなければならない」と考えさせます。29歳で独立して神田須田町に吉田鞄製作所を設立した後もこの経験に基づく理念を忘れずに、「使うほどに馴染み、永く愛用していただけるカバン」作りを目指しました。

エレガントバッグを開発して大ヒット

1951年、神田須田町から現在の本社がある東神田に社屋を移転し、株式会社吉田に改組しました。1953年、ファスナーの開閉によってカバンのマチ幅を自在に拡張出来るエレガントバッグを開発して大ヒット。戦後からの復興が見え始めて集合住宅が急増しつつあった当時、使わないときは狭い室内でもコンパクトに収納できるという機能は、実に革新的で時代にマッチしており高く評価されました。今では一般的なこの機能を開発したのは他ならない吉蔵です。

自社ブランドの設立

1962年、ポーターは初の自社ブランドを立ち上げました。当時は人々がブランドにこだわることはほとんどなく、「百貨店で買い物をする」行為自体が憧れでありステイタスの象徴。「お客様の手元に商品は残るが、どこの会社が作ったかは伝わらないし残らない」。吉蔵はその打開策として自社ブランドを作ることを考えました。日本のバッグメーカーがプライベートブランドを持つのは大変珍しいことでした。

下げ札デザイン

ブランド名は、ホテルなどでお客様のカバンを預かるポーターという職業が常にカバンに触れ、カバンの良さを知る者であるということに由来しています。下げ札(紙製のタグ)のデザインは最初に10パターンほど考案されました。正面を向いたデザインもあったほか、シリーズによって使い分けていたこともあり、同時期に複数が使用されたこともありました。1968年頃に現在の下げ札がデザインされましたが、吉田専用のダンボール箱には、1962年に考案されたひとつがプリントされています。

タンカーシリーズとは?

アメリカ空軍のフライトジャケット「MA-1」をモチーフにした大人気シリーズ。1983年の発表から四半世紀以上たつが、今なお愛され続ける永遠のスタンダードモデル。

シリーズ最大の特徴でもある、「MA-1」をイメージして開発したオリジナル生地は
ナイロンツイル(表面)+ポリエステル綿(中間層)+ナイロンタフタ(裏面)という3層構造で、この生地はとても軽く、ボンディング素材の柔らかな感触と裏面の鮮やかなオレンジカラーが魅力です。

こだわったのはMA-1のディテール

表面的なデザインだけではなく、細部にまでこだわって「MA-1」のディテールを取り入れているのもポイントです。
生地の表面はブラック、セージグリーン、シルバーグレーですが、全て裏面は鮮やかなオレンジ色(レスキューオレンジと表現する方もいます)です。
また、金具(ファスナーやホック、ナスカン)は使うにつれて経年変化が表れるように、あえて色が剥げるような塗装にしています。

1983年のシリーズ発表時は、「MA-1」をモチーフにした、ミリタリーテイストのトラベルシリーズ」というコンセプトだったため、ダッフルバッグやショルダーバッグが中心の展開でした。また、色もセージグリーンのみでした。その半年後にブラックカラーを追加しています。そして2014年にシルバーグレーを発表しました。

30年間支え続けてきたのは・・・

タンカーを支えているのは、企画部(デザイナー)のチームだけではありません。30年間も作っているという職人さんたちの力も大きいのです。実際、30年も続くシリーズなので、コスト部分ではとても厳しい。過去に一度だけ値上げはしたものの大幅にはできない一方、生産は続けなければなりません。また、生産量が増えるとお願いする職人さんの数も増えることになり、製品の仕様にばらつきが出ることも・・・。それを防ぐために厳しくチェックしたり、仕様を統一するための仕様書があったりという工夫がタンカーの品質を支えているのです。

最後に…

30年間シリーズが続いた要因として「吉田カバンは日本製を貫く」という創業者のこだわりが大きいのではないでしょうか。バブル期に海外の工場で大量生産という方向に走っていたら、今の吉田カバンはなかったかもしれません。吉田カバンの特徴である大量のポケットや耐久性を実現するための縫製は、海外生産には向かなかったことでしょう。