日本でのウイスキー造り

最近NHKドラマ化された「マッサン」の影響もあり、すっかり有名になったジャパニーズウイスキー。その「マッサン」こと竹鶴政孝氏が、スコットランドへウイスキー留学し、その技術を日本へ持ち帰って、スコッチに勝る本格的国産ウイスキーを造ろうと志したことから日本におけるウイスキー造りの歴史が始まりました。

大正13年京都郊外・山崎の地で初めて国産のモルト原酒を造ったのが、いまのサントリーである旧寿屋です。今でこそジャパニーズウイスキーは味わい・品質ともに、スコッチと完全に肩を並べるウイスキーへと成長しましたが、販売当初は諸外国に比べ比較的歴史が浅いことや、粗悪品が出回ったこともあり、海外からの評価も「ウイスキーではない」と散々足るものでした。しかし竹鶴政孝氏の絶え間ない努力の結果、徐々に評価を回復していったのです。

数々の快進撃

英国の専門誌『ウイスキーマガジン』にて2001年に行われた初のコンテスト、「ベスト・オブ・ザ・ベスト」の結果に、世界のウイスキー業界に激震が走りました。なんとニッカウヰスキーの『シングルカスク余市10年』が総合第1位、サントリーの『響21年』が2位と、ジャパニーズウイスキーがトップを独占したのです。

ウイスキーマガジンが世界各地から選んだ47のウイスキーを、英国、米国、日本の専門家62人が評価した結果、本場スコットランドのスコッチウイスキーを抑え、ジャパニーズウイスキーが初めて“世界最高峰”と認められた瞬間といえるでしょう。2012年には、世界で最も権威のあるワールド・ウイスキー・アワードで、サントリーの山崎25年が世界最高のシングル・モルト・ウイスキーに、ニッカの竹鶴が世界最高のブレンデッド・モルト・ウイスキーに選ばれるなど、世界的にも高い評価を受けています。

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日本で初めてのウイスキー

江戸時代末期のペリー来航の時に、初めて日本にウイスキーが持ち込まれたのが発端で、サスケハナ号にて奉公や通訳が歓待された際に、客人に振る舞われたお酒がウイスキーだったと言われています。また1860年に横浜ホテルが、日本初の西洋スタイルとしてオープンしましたが、そのホテル内のバーにてウイスキーが提供されていたという話もあります。

その後1871年猫印ウヰスキーが、初めて海外からウイスキーを、日本国内の大衆向けとして輸入したのをきっかけに、明治時代末期頃から大正時代にかけて、日本でも本格的にウイスキー製造に向けての活動が開始していくのです。その先駆けとして、摂津酒造は「マッサン」で有名になった竹鶴政孝を、ウイスキーの名門であるスコットランドに派遣し、寿屋(現サントリー)の社長は日本でウイスキー蒸留所建設したいと考えていました。

現在では…

スコットランドから帰国した竹鶴政孝氏を筆頭に、ジャパニーズウイスキーは、スコッチウイスキーの製造を再現することに尽力します。こうして次第に高品質なものへ進化を遂げたジャパニーズウイスキーは、戦後アメリカ軍関係者の評価を得て、戦後復興と同時にウイスキーの国内需要が軌道に乗り、国民に親しまれるものになってきました。現在では様々な銘柄が開発され、安価なウイスキーや、高価なウイスキーまで様々なウイスキーが作られています。

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