江戸時代の日本人とワインの出会いは、フランシスコ・ザビエルが薩摩大名に振る舞った「チンタ」(赤ワイン)の伝来から始まったと言われています。

江戸時代には肥後熊本藩の細川忠利公が葡萄酒造りを試みた記録も残されており、日本のワインの歴史は意外にも古く、現在まで400年以上の歩みがあります。

本記事では、江戸時代の細川忠利公による葡萄酒造り、明治時代の本格醸造、川上善兵衛・鳥井信治郎ら日本ワインの父、そして現在の世界での評価まで、日本ワインの歴史を製造・文化・国産ブドウ栽培の3つの軸で解説します。

江戸時代のワイン|日本人とワインの最初の出会い

室町時代に伝来したチンタ(ポルトガル産赤ワイン)

1483年 ポルトガルから「チンタ」が伝来(室町時代後期)

日本人がはじめて本格ワインに触れたのは室町時代後期の1483年で、ポルトガルから持ち込まれた「チンタ」(ティンタ=ポルトガル語で赤)というワインを飲んだという記述が文献に残されている、日本最古のワイン体験記録となっています。

ポルトガルやスペインでは赤ワインを「ティンタ」と呼んでおり、当時日本に持ち込まれたのは赤ワインだったと考えられています。

1549年 フランシスコ・ザビエルの来日とワイン

1549年に来日したフランシスコ・ザビエルは、ポルトガルから持ち込んだワインを薩摩大名に振る舞ったと伝わっています。キリスト教伝来とともにワイン文化が一部地域に流入し、戦国大名の間でワインを嗜む文化が広がった可能性があります。日本のワイン史は、宣教師の来日とともに本格的に幕を開けたのです。

江戸時代の鎖国とワイン文化の停滞

1639年の鎖国令以降、ワインの輸入は大幅に制限されました。キリスト教禁教とともにワイン文化も縮小し、江戸時代のワインは文献の中の記録に留まる時期が長く続きました。それでも、一部の大名や武士階級では葡萄酒の試醸が行われていた記録があります。

江戸時代の細川忠利と葡萄酒造り

江戸時代のブドウ栽培と葡萄酒造り

1623年〜1631年の細川忠利公の葡萄酒造り記録

江戸時代前期、肥後熊本藩主の細川忠利公が葡萄酒造りを命じた記録が残されています。1623年・1625年・1631年に複数回の試醸が行われたと伝わり、日本最古の本格的葡萄酒造りとされる説もあります。鎖国前夜の貴重な記録として、日本ワインの歴史を語る上で欠かせないエピソードです。

1638年の家臣への葡萄酒提供

1638年には、細川忠利公が家臣に葡萄酒を提供したという記述が残っています。江戸時代前期の日本における葡萄酒文化の存在を示す貴重な資料で、藩主が家臣に振る舞うほど葡萄酒造りが定着していたことを物語っています。当時の細川家の文書には、葡萄酒造りの工程まで詳細に記載されているものもあります。

豊後(現大分県)における葡萄酒醸造の試み

豊後(現在の大分県)でも独自の葡萄酒造りが行われていた説があります。国産ブドウを使った試行錯誤の時代で、各地の大名が独自に葡萄酒造りに挑戦していたことがうかがえます。江戸時代の葡萄酒造りは、想像以上に各地で試みられていたのです。

江戸時代に葡萄酒造りが続けられなかった理由

江戸時代に葡萄酒造りが続けられなかった理由として、鎖国による技術交流の途絶、米・日本酒文化の発展で葡萄酒の需要が限定的だったこと、製造ノウハウの不足と気候条件の難しさが挙げられます。安心して飲める水が豊富な日本では、わざわざワインを造る必要性が海外ほど高くなかったとも言えます。

日本固有品種「甲州」とブドウの伝来

日本固有品種の甲州ブドウ

奈良時代〜平安時代のシルクロード経由での甲州伝来

日本固有品種「甲州」のルーツは、奈良時代から平安時代にかけてシルクロードを経由して日本に入ってきたとされています。シルクロードを通じた東西交流の証として、日本のブドウ栽培の歴史は約1300年もの長さを誇ります。

行基説(718年・大善寺)

甲州伝来の有力説のひとつが、718年に僧侶・行基が持ち帰り、山梨県勝沼の大善寺にある薬草園で栽培したという伝承です。古代仏教との関係から伝わるこの説は、甲州が単なる果樹ではなく薬用としても珍重されていたことを示しています。

雨宮勘解由説(1186年頃・山梨県勝沼町)

山梨県勝沼の甲州ブドウ

もうひとつの伝来説は、行基から約400年後に雨宮勘解由が山梨県勝沼町の道端で自生する甲州を発見し、自宅で育てたというものです。山梨県勝沼が日本のブドウ栽培発祥の地として位置付けられている根拠となっており、甲州の歴史は山梨県勝沼からスタートしたと言われています。

1716年・3000本以上のブドウ樹/将軍への献上品

江戸時代中期の1716年頃には、3000本以上のブドウ樹が植えられていたとされています。山梨県勝沼町のブドウは将軍家への献上品として認められ、高級品としての地位を確立。薬用・加工用としてブドウが注目された時期で、ブドウ栽培が本格的に拡大した重要な年代でした。

明治時代の本格ワイン造りスタート

明治時代の本格ワイン造り

1870年 ブドウ酒醸造研究所(山梨県甲府市)

江戸時代末期の文明開化を機に、日本のワイン造りは大きく動き出します。1870年に山梨県甲府市で「ブドウ酒醸造研究所」が設立され、痩せた土地でも栽培可能なブドウからワインを造る政策が本格化しました。米を主食として守るための農業政策の一環でもありました。

1876年 開拓史葡萄酒研究所(札幌)

1876年には北海道・札幌で「開拓史葡萄酒研究所」が設立され、北海道でも国産ワイン造りがスタート。寒冷地でのブドウ栽培研究が始まり、日本のワイン産地が南北に広がる礎となりました。

1877年 大日本山梨葡萄酒会社(メルシャンの前身)

大日本山梨葡萄酒会社の歴史

1877年、山梨県に「大日本山梨葡萄酒会社」が誕生。日本最初期のワイン会社で、後のメルシャンの前身となる企業です。日本ワインの発展に大きく寄与する存在となり、近代日本のワイン産業の出発点となりました。

高野正誠と土屋龍憲のフランス留学

大日本山梨葡萄酒会社は、高野正誠と土屋龍憲という二人の若者をフランスへワイン留学に派遣しました。2年後の1879年に帰国し、本格ワイン造りがスタート。この留学が日本ワインの技術的基礎を築いた重要な出来事として、歴史に刻まれています。

日本ワインの父・川上善兵衛と先駆者たち

甘口ワインのヒットと日本ワインの父・川上善兵衛

川上善兵衛(マスカット・ベーリーAの生みの親)

川上善兵衛は1868年生まれの新潟県上越市の篤農家で、「日本ワインの父」と称される伝説的人物です。22年もの歳月をかけてマスカット・ベーリーAという日本独自の交配品種を生み出し、日本のブドウ栽培史に革命をもたらしました。新潟県上越市の岩の原葡萄園は、現在も川上善兵衛の遺志を継ぐワイナリーとして存続しています。

鳥井信治郎(サントリー前身・登美農園を買収)

鳥井信治郎はサントリーホールディングスの創業者で、山梨県の登美農園を買収して高品質国産ワイン造りを目指しました。「赤玉ポートワイン」で甘口ワインブームを起こし、本格ワインがまだ受け入れられなかった時代の日本人にワインの楽しみを広めた立役者です。

第二次世界大戦中のワイン産業

第二次世界大戦中、ワイン産業は壊滅の危機に瀕すると思われましたが、ワインに含まれる有機酸の一種である酒石酸が潜水艦などの「音波探知機の振動子」として格好の素材だったことから、軍事的需要によりワイナリーの多くが生き延びました。戦争とワインの意外な関係が、日本ワインの命脈を保ったのです。

戦後:山梨工業専門学校付属発酵研究所の設立

日本ワインの復活と発酵研究所

終戦後、山梨工業専門学校には付属発酵研究所が設置され、果実酒専門の研究機関として日本ワインの発展に尽力しました。これは現在の山梨大学ワイン科学研究センターの前身で、多くのワイン生産者を育成する重要な役割を果たしています。

日本のワインブームの歴史

ワインブームに湧く日本

1964年・東京オリンピック/1970年・大阪万博

1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博を機に、欧米文化が日本に流入し、本格ワインブームの起点となった年代です。欧米化していく日本の食卓や高度経済成長などの影響を経て、ワイン消費量が国内で大きく増加していきました。

1980年代・バブル期の高級ワイン・ボジョレー・ヌーヴォーブーム

1980年代後半のバブル期には、若い世代を中心にワイン消費が急増しました。フランスのワインを中心とした高級志向と、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日が日本の年中行事となり、ワインが日本の消費文化に深く根付いた時代です。

1990年代・チリ・カリフォルニアのワインブーム

近年のワインブームと日本ワイン

1990年代に入ると、チリ・カリフォルニア・オーストラリアなどニューワールドの低価格高品質ワインが普及し、ワインが日常の食卓に浸透していきました。日本人ソムリエが世界一となるなど、ワインの専門知識も日本に深く根付き始めた時期です。

フレンチパラドックスと赤ワインブーム

フレンチパラドックスという、赤ワインが心臓病を予防するという学説が発表され、若い層の赤ワイン消費を加速させました。健康志向と相まって、赤ワインが日常的に飲まれるお酒として定着し、安定的なワイン需要が日本国内で確立されたのです。

現在の日本ワイン|世界での評価

現在の日本ワインの未来

山梨・長野・北海道などの主要産地

現在の主要国産ワイン産地は、山梨・長野・北海道を中心に各地に広がっています。各地域で個性的なワイナリーが活躍しており、地元のテロワールを生かした魅力的なワインが世界の舞台で評価を得ています。

日本ワインコンクールと世界への輸出

国産ブドウのみで製造された「日本ワイン」が法的に定義され、国際コンクールで現在多数の受賞を獲得しています。フランスやイギリスなど世界のワイン市場での評価が年々高まり、日本ワインは新たな世界の銘醸地として認知されつつあります。

地理的表示(GI)山梨・北海道の取得

「日本ワイン」の品質と地域性が国際的に保護される地理的表示(GI)として、山梨と北海道が指定されています。文化財としての価値も高まり、日本のワイン産業が国際的にも保護される時代を迎えています。

現在の日本ワインの代表ワイナリー

現在の日本ワインの代表ワイナリーには、シャトー・メルシャン(山梨)、中央葡萄酒(グレイス・ワイン/山梨)、高畠ワイナリー(山形)、タケダワイナリー(山形)、サッポロ・グランポレール(北海道)などがあります。それぞれが独自のテロワールと哲学で、世界に通用する日本ワインを生み出しています。

日本ワインの歴史をたどる旅・歴史的施設

日本のブドウ栽培と歴史的施設

山梨県勝沼の宮光園・登美農園

日本ワインの歴史を体感できる場所として、山梨県勝沼の宮光園や登美農園があります。国の登録有形文化財として保護されている建物もあり、明治時代から続く日本ワイン造りの息吹に触れられる貴重なスポットです。

「日本ワイン140年史」構成文化財

「日本ワイン140年史」として日本ワイン産業遺産群が構成されており、歴史的に価値ある醸造施設の一覧が文化財として登録されています。ワイン愛好家の歴史巡りの目的地として、近年注目を集めています。

見学可能な歴史的ワイナリー

見学可能な歴史的ワイナリーには、シャトー・メルシャン(旧大日本山梨葡萄酒会社)や、岩の原葡萄園(川上善兵衛創設・新潟県上越市)などがあります。日本ワインの源流をたどる旅として、ワイン愛好家にとって特別な体験ができる場所です。

日本ワインの歴史に関するよくある質問

日本ワインの注目と歴史

日本最古のワインは?

日本最古のワインは諸説ありますが、江戸時代の細川忠利公による葡萄酒造り(1623年)が有力候補とされています。一方、日本人が初めてワインを口にしたのは1483年のポルトガルからのチンタ伝来とされ、ワイン体験としては室町時代後期から始まっています。

いつ国産ワインが定着した?

国産ワインは1980年代の高級ワインブームを経て1990年代に定着しました。現在は世界的にも高評価を得ており、国際コンクールで多数の受賞を重ねています。日本ワインの認知度は今後さらに高まっていくと予想されます。

江戸時代の人は本当にワインを飲んでいた?

江戸時代の一部の大名・武士階級ではワインや葡萄酒を飲んだ記録があります。細川忠利公の葡萄酒造りや家臣への提供記録が代表例です。ただし庶民レベルでの普及は限定的で、ワインが日本に広く浸透したのは明治時代以降の話となります。

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ワインの買取査定では、未開封であること・10〜15℃の冷暗所で横置き保管されていたこと・ラベルが美品状態であること・木箱や化粧箱付きが高額査定の条件となります。日本ワイン以外にも、フランスのDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)やボルドー5大シャトー、イタリアのバローロやブルネッロ・ディ・モンタルチーノなど世界中の高級ワインを買取対象としています。歴史的価値のあるヴィンテージワインや限定リリースの希少銘柄は、買取市場で常に高い需要があります。ストックラボではオンライン無料査定・宅配買取など利便性の高いサービスを提供しており、全国どこからでもお手続きいただけます。手放したいワインがある方は、ぜひストックラボまでお気軽にご相談ください。