ネグローニ、ベッリーニ、アメリカーノ、そしてスピリッツ。これらに共通するのは、国際バーテンダー協会が認知したイタリア発祥のカクテルであるということ。ご自宅でも楽しめるレシピとカクテルの由来をご紹介いたします。
イタリアで誕生したカクテルの数々
ネグローニ 1919~1925
ネグローニが誕生したのはフィレンツェ。名前は、カミッロ・ネグローニという伯爵に由来します。現在はロベルト・カヴァッリ経営の「カフェ・ジャコーザ」。
かつては「カソーニ」という老舗で、伯爵は「いつものを」と注文するのが常でした。この「いつもの」カクテルが、ネグローニなのです。
ネグローニのオリジナルレシピ
ネグローニのオリジナルレシピは300mlのジン、300mlのベルモット・ロッソ、300mlのビター・カンパリ、そしてお好みでオレンジを一切れ。これをよく混ぜてオールドファッションのグラスで飲むのが基本です。
おいしくいただくちょっとしたコツ
ジン、ベルモット、カンパリの順に氷を入れたロックグラスに入れてオレンジを添えます。
ネグローニはこれらがよく混ざっている必要があるため、ミキシンググラスでよく混ぜてグラスに注ぎ氷を加えればさらに美味です。とはいえ、恋人の前でミキシンググラスを使用するのはちょっと気恥ずかしいかも。
ベッリーニ 1938年~1948年
ベネツィア派の画家が名前の由来
ベネツィアにあるハリーズ・バーが発祥の「ベッリーニ」。1948年頃、当時バーテンの長を務めていたジュゼッペ・チプリアーニによって考案されました。
ベネツィアの画家ジョヴァンニ・ベッリーニが描いた聖人のトーガの色に由来する命名であるとか。オリジナルのレシピ、プロセッコ700mll、桃のジュース300ml。
有名人たちにも愛されたベッリーニ
桃は少し果肉が残るくらいのピューレにしておくのがおいしいというのがイタリア人たちの意見です。桃は白桃を使い、先に桃をグラスに入れるのがコツ。
「ベッリーニ」は作家のヘミングウェイ、実業家ジャンニ・アニエリ、俳優のオーソン・ウェルズなどの著名人にことのほか愛されました。
イタリア料理「カルパッチョ」とは兄弟
「ベッリーニ」の生みの親のジュゼッペ・チプリアーニは数年後に、画家ヴィットーレ・カルパッチョの作品の名を冠した料理「カルパッチョ」を世に送り出しています。
当時ベネツィアで開催されていた展覧会に触発されて考案されたカルパッチョといい、ベッリーニといい、誕生エピソードに芸術が絡んでいるのがイタリアです。
アメリカーノ 1860年
アメリカーノの誕生年には諸説あり
「ネグローニの父」とも称されるこのカクテルはレシピのバラエティーが多々。1830年にすでに存在していたとか、1867年に「バール・カンパリーノ」がミラノのガッレリーアに開店した際に誕生したなどの説があります。
イタリア人ボクサーが名前の由来
「アメリカーノ」は1933年に世界チャンピオンとなったボクサー、プリモ・カルネラにちなんでいます。
アメリカで勝利したカルネラがイタリアに帰国したとき、人々はこのカクテルでお祝いをしました。その名はカルネラがアメリカ人からチャンピオンの座を奪取した記念なのです。
ネグローニの父ともいわれるアメリカーノ
「アメリカーノ」の基本レシピは、300mlのカンパリ、300mlのベルモット、炭酸水を適量。高めのタンブラーに氷、カンパリ、ベルモットを入れてよく混ぜます。炭酸水をお好みでくわえておめしがありください。
スプリッツ 誕生年不明
スプリッツの名前はドイツ語から
「スプリッツ」の発祥年は不明。ドイツ語から派生しており、その意味するところは「水を振りかける」。当時は「ワインを炭酸水で割る」という意味があったそうです。
当時の北イタリアにドイツ人が多かったことを物語る逸話です。
ベネツィアの習慣とスプリッツ
ベネツィア人はアペルティフが大好き。スプリッツの人気はこのベネツィアの習慣と無縁ではありません。
ベネツィアのアペルティフは白ワインが定番であるため、スプリッツは北イタリアから定着していったという説も。
オリジナルレシピは実は不明
スプリッツはレシピが多々。ベネツィアでは白ワインとアマーロ、炭酸水をそれぞれ3分の一ずつ加えます。
バーテンダー協会の公式レシピでは、600mlのプロセッコ、400mlのアペロール、炭酸水、氷とオリーブの実を加えてできあがり。
まとめ
イタリアのカクテルには、愉しい歴史やエピソードが絡んでいます。愉しい逸話とともに、色鮮やかなカクテルをめし上がれ!
古物商許可証取得。酒類販売責任者。
株式会社ストックラボの鑑定責任者、真贋査定士、及び出張買取責任者。 複数の買取会社でウイスキー・ワイン・日本酒・焼酎・ブランデーなどの幅広いお酒の買取鑑定・査定を行ってきた鑑定士歴7年のエグゼクティブバイヤー。