手を抜かない「高木酒造の傑作 十四代」の出来るまで

手を抜かない「高木酒造の傑作 十四代」の出来るまで

「十四代」は日本一定価で手に入りにくい日本酒といっても過言ではないでしょう。なぜ「十四代」ってこんなにも人気が高く、こんなにも一般で売っているところを見ない日本酒なのでしょうか?

2016.05.03

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目次
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十四代がうまれるまで


山形県村山市にある高本酒造は江戸時代初期の元和元年(1615)の創業とし、山形県内でも古い酒蔵の一つでした。年間生産量は約二千五百石にすぎない小さな蔵元であり、「十四代」を世に出すまでは、主に県内向けに「朝日鷹」という銘柄を出荷していました。「十四代」は、高木酒造十四代目当主、高木辰五郎と十五代目にあたる息子・高木顕統の二人によってうみだされたのです。

高木酒造の杜氏の引退


転機が訪れたのは1993年の6月、父辰五郎から息子である顕統への一本の電話からはじまります。高木酒造の杜氏を努めていた山内杜氏が高齢のため辞めることになり、新しい杜氏が必要なことと、辰五郎氏が山形県議会議員に当選し公務で多忙になり、蔵に入ることができないという要件でした。

そのため、当時新宿伊勢丹で日本酒のバイヤーをしていた顕統氏は仕事をやめ、山形に戻って酒造りを手伝うことになったのです。もともと高木酒造は「朝日鷹」という地元に親しまれている銘酒と、「十四代」という銘酒を取り扱っていました。しかしここでいう「十四代」とは、現在知られている「十四代」とは違い、十四代目当主の高木辰五郎氏が、時々特別な古酒のみにつけて売り出す程度のお酒だったのです。

十五代目に就任した顕統氏


高木辰五郎氏の御子息である顕統氏が十五代に就任して以降、その年の冬から顕統は杜氏として酒造りを始めますが、これは当時非常に異例なことでした。今でこそ「十四代」の成功に触発され、若い後継者が自ら酒造りに乗り出していますが、当時、蔵元は経営、杜氏は酒造り、この製造と経営を区切る分業制度が確立しており、本来なら顕統氏は蔵元を継ぎ、杜氏にはならないのが当たり前だったのです。

しかし習慣や伝統にとらわれない父辰五郎が、顕統氏を強力にバックアップしたからこそ杜氏としてもやっていくことが出来、のちに「十四代」が生まれる基礎となったのです。顕統氏は飲んでいた酒に物足りなさを感じていた時期で、芳醇旨日の酒を飲みたい、自分で造ってみたいと常々思っていました。

試行錯誤の末に…


顕統氏は東京農業大学農学部醸造科を卒業していた為、蔵に入ってからは毎晩、大学時代の恩師である穂坂賢教授と、山形県工業技術センターの小関敏彦主任専門研究員に電話で指導を仰ぎ、翌日に実践するといった毎日の繰り返しだったと言います。そうした試行錯誤を繰り返した結果、ようやく翌年の二月には日本酒造りが終了し、最後の工程である瓶詰めまでを終え、はじめて顕統氏念願の日本酒が完成するに至りました。

出来あがった日本酒の味わいは、辛くなく、しかしただ甘いだけではない、米と麹の醸し出す旨みと香りを漂わす芳醇なものに仕上がっており、顕統氏が常々造りたいとおもっていた味が表現されていたのです。顕統氏は、もともと先代辰五郎氏が特別な古酒にのみつけていた「十四代」という名称をこの日本酒につけ、そしてこの新酒を全国的に有名にする為、また新時代を作り出すべく野望を持って、十五代当主顕統氏が社運をかけた「十四代」をこの世に堂々とリリースしたのでした。

「十四代」の販売戦略


「十四代」が現在の地位を築く大きな要因の一つに、販売戦略の成功が挙げられます。まずターゲットとする市場を東京中心に定め、間屋を通さず酒販店、居酒屋に直接販売を呼び掛け、その際良い保管状態を提供している酒屋だけを見極めて取引するというスタイルで、独自の販売ルートを確立しました。

顕統氏自身で「十四代」を置いてもらう酒販店を選び酒販しました。販売店は東京だけも無数にありますが、お酒の取り扱い方はそれぞれ千差万別で、生酒のような非常にデリケートに取り扱わなければ品質が落ちてしまうようなお酒は、自分の足で情報を得るしかわからないのです。顕統氏のそうした戦略が全て型にはまり、現在のように人気の高い「十四代」の成功を自ら導き出したわけですね。

フルーティーな甘みで大ブレイク


「十四代」の人気に火がついたのは、平成6年頃といわれています。当時淡麗辛口な日本酒がブームだった最中、フルーティーで甘みのある大吟醸酒として「十四代」は登場し、その穏やかな吟醸香とまろやかな甘みでたちまち大ブレイクを引き起こします。

では、ここから「十四代」の名を冠する日本酒を紹介していきます。

十四代 龍泉


数多くある日本酒の中で、最も入手困難とされている「十四代」の、その中でも最高峰といわれるお酒が「純米大吟醸 龍泉」です。日本酒好きなら、一度は飲んでみたいと思う幻のお酒。そんな日本最高峰のお酒を造り出しているのは、山形県村山市に蔵を構えている高木酒造さん。



創業の歴史を辿れば大変古く、1615 年の江戸時代初期まで遡り、400 年という長い歴史を刻んでいる蔵元さんです。山形県村山市といえば、さくらんぼ佐藤錦の産地としても有名で、豊かな自然と美しい水に恵まれているところですね。

十四代 本丸 秘伝玉返し


本丸という名がつくものは十四代の本醸造酒です。しかしそのフルーティーな味わいは、他の吟醸酒と比較しても遜色ない完成度となっています。甘味と辛味のバランスのとれた1本として根強いファンに愛されています。

十四代 龍の落とし子


高木酒造のオリジナルな酒米「龍の落とし子」と名付けられたから酒米から造られた純米吟醸酒です。十四代ならではのキレとノド越しを味わえる最高品質を誇る稀少な逸品といえるでしょう。

十四代 中取り大吟醸 播州山田錦


希少な酒造米の兵庫県特A地区山田錦を35%まで磨きあげて造られた「十四代」です。きれいな甘さと濃厚な旨味が特徴的で、低温熟成によって味が引きしまっています。めったにお目にかかれない幻の日本酒と称される逸品です。

日本において、ブームとは消費者がつくるもの、そして販売者が仕掛けるものと2通りあると思います。こうして高木酒造の歴史を紐解いてみると、「十四代」のヒットに関しては半分以上人為的仕掛けがきっかけでブレイクしたことが読み取れます。

まとめ


山形にあった小さな蔵元の日本酒が、ここまで全国的に有名になり、日本で一番定価にて入手困難な日本酒となるなんて、当時の誰が想像したでしょうか。現在もなお快進撃と続ける高木酒造の造る未来は、日本酒愛好家としては楽しみであり、今後も美味しい日本酒を発信してくれることを期待しています。


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