そもそもカルトワインとは?

ワインと言えば、フランスだったりイタリアだったりが稀有な高級ワインの定番と思いがちですが、実はカルトワインの称号を惜しいままに貰い受けているのは、歴史の深いフランスやイタリアワインではなく、新境地とされているカルフォルニアワインなんです。

ワインの歴史は、ヨーロッパを中心に古くけら栄えてきました。歴史あるワイン生産地といえば、名門フランスを筆頭に、イタリア・スペイン・ドイツと続きます。

これに対し、近年新たに開拓されたワイン生産地がニューワールド。チリ、アルゼンチン、オーストラリアとありますが、一番忘れては行けないのがカリフォルニアです!

まだまだ歴史の浅い新大陸でのワイン造りは、様々なタイプのワインが続々と登場しますが、カルトワインの定義はニューワールドのみならず、歴史ある生産地にも当てはまります。

そもそもカルトワインの語源は、1990年頃からと言われ、その定義は高品質かつ少量生産なのです。

高品質かつ少量生産、さらには…

つまり希少性の高いワインが必須条件なんですが、正直な話品質かつ少量生産のワインなんて、世界中にゴロゴロしていますが、この条件を満たしているワインは数多くあるので、それだけではカルトワインとは言えません。

カルトワインと呼ばれりには、さらに世界の評論家からも高い評価を得、ワインの歴史が浅い中でも価格が一気に沸騰し、世界中で争奪戦が繰り広げられるワイン、それがカルトワインと呼ばれるワインになります。

そしてこれら条件を満たすワインの生産地として一躍有名になったのが、カリフォルニアワインなんですね。

商業用ワイン造りの始まり

カルフォルニアで本格的にワイン造りが始まったのは、1769年フランシスコ会の宣教師が開拓者を従えてサンディエゴに移住し、キリスト教の布教とともに最初のワイン畑を開いたとされます。その後1830年頃、商業用のワイン造りが始まります。

フランスのボルドーから移住してきたジャン・ルイ・ヴィーニュが、フランスより本場のブドウの苗を持ってきて、現在のダウンタウン・ロサンゼルスにブドウ畑を開き、1848年北カリフォルニアで金鉱が見つかりゴールドラッシュの時代に突入すると、フランスやイタリアなど各ヨーロッパ諸国から移民が押し寄せます。

その中でワイン造りに精通していた人たちがワイン畑を開き、本格的なワインをカリフォルニアの地で広め出したのです。

次々と閉鎖に追い込まれるワイン畑

ゴールドラッシュの時代を封切りに、カリフォルニアでのワイン造りはどんどん盛んになっていきましたが、1919年に施行された禁酒法により、キリスト教の儀式用および医療用として例外に認められた以外、ほとんどのワイン農場が次々と閉鎖に追い込まれていきます。

さらに1929年に起こった大恐慌や、第2次世界大戦によりワイン業界はなかなか禁酒法時代以前の生産規模に戻ることができませんでした。

ワイン業界を震撼させる出来事

1960年代にようやくその勢いを取り戻しました。

1976年にパリで行われたブラインドテイスティングの大会で、フランスの有名なワインを押しのけ、赤ワイン、白ワインと両方の分野で賞を取るまでに至り、世界のワイン業界を震撼させたのです。

それからカリフォルニア州でのワイン生産量は増え続け、1966年には227まで落ち込んだワイナリーの数も、2010年には3400にもなっています。

スクリーミング・イーグルの歴史

スクリーミング・イーグルは1986年不動産業で成功を収めたジーン・フィリップス女史によって設立されました。

設立してしばらくの間は収穫したブドウを地元ナパのワイナリーに売却していましたが、カリフォルニアワインの父といわれる ロバート・モンダヴィの助言もありワイン造りを開始します。

当時植えられていた品種リースリングをすべて引き抜き、メルロー、ベルネ、フラン、後にプティ・ヴェルドとソーヴィニヨン・ブランを植樹しました。

フィリップスは、ハイジ・バレットの父にして、ナパにおける伝説の求道者、リチャード・ピーターソンに意見を求め、リチャードの娘、ハイジ・ピーターソン・バレットを醸造責任者に招くことにしました。

ファーストヴィンテージの高評価

スクリーミング・イーグルのファースト・ヴィンテージは1992年。

この処女作はワイン評論家であるロバート・パーカー氏によりRP99点と高評価され、世界中に一大センセーショナルを巻き起こしたのです。

ロバート・パーカー氏に認められた後、瞬く間にその名が知れ渡り、たちまちカルト・ワインの頂点に上り詰めました。

新しい風が運んだワイン

ジーン・フィリップスは2006年、実業家のチャールズ・バンクスとスタンリー・クロエンクにスクリーミング・イーグルを売却し、2009年にチャールズ・バンクスはスクリーミング・イーグルを離れ、2013年現在はスタンリー・クロエンクの単独所有となっています。

オーナー交代時に醸造家もハイジ・ピーターソン・バレットからアンディ・エリクソンへと交代となり、更に2012年元ハーラン・エステートのセラーワーカーだったニック・ギスラソンにバトンタッチされており、常に新しい風を呼び込むことへの貪欲さは、ニューワールドらしいと思います。

さらなる人質の向上

オーナーが代わり最初に行ったことは、所有する葡萄畑のおよそ70%に当る部分を植え替えすることでした。

そして次にセカンド・ワインを造り、さらなる品質を向上を図ります。これらの対策により、オーナー、ワイン・メーカーが変わろうともその評価と名声は落ちる事はありませんでした。

まとめ