アンリ・ジャイエとは?


神に愛されたワイン産地、ブルゴーニュのコート・ド・ドール。ロマネコンティやリシュブール、コルトンシャルルマーニュ、ジュヴレシャンヴェルタンなど、名だたるグランクリュがきら星の如く並ぶ世界屈指のワインの銘醸地です。

そんなブルゴーニュ地方の主要品種といえばピノノワールですが、このブドウ品種の持つポテンシャルを飛躍的に上げ、ブルゴーニュ地方のワインブランドを確固たるものにした人物がいます。

それが、『アンリ・ジャイエ』。ブルゴーニュの神様、芸術的なヴィニュロンなど、さまざまな異名を持ちあわせている、まさに伝説の人物アンリ・ジャイエを知らずして、ブルゴーニュのワインを語ることはできず、なのです。

アンリ・ジャイエがこの世に生を受けたのは、1922年。あの、ロマネコンティの畑を有するヴォーヌ・ロマネ村の出身です。

彼は、元々ネゴシアンたちにブドウを売る小作農でした。1945年にメオ・カミュゼより畑を借りてブドウ栽培を行っていたのですが、1973年の不況によりブドウが満足に売れなくなります。

致し方なく、自らが造ったブドウで自分でワインを造る自家元詰めを行いはじめたのです。

もし、この時に彼が自家元詰めをしていなかったら、今のブルゴーニュワインは無いでしょう。ライバルが世界で最も多いだろうブルゴーニュ地方のドメーヌのなかで、生き残る道は本当に品質の高いワインを造ることでした。

化学肥料を最低限に抑える有機栽培や低温マセラシオン、ノンフィルターなど、当時のピノノワールでのワイン造りと逆行するようなワインを造っていたのです。

当初、周囲の流れから孤立する自らのワイン造りを鑑みて、間違ったことをしているのか不安になったとも語っています。

しかし、リシュブールやエシェゾー、ヴォーヌ・ロマネなどで彼が素晴らしいワインを造っていたことを知っていたインポーターや評論家などに支えられ、結果的にブルゴーニュのピノノワールが持つ本来の味わいを実現することに成功します。

D.ラフォン、Cルーミエといった今の大御所たちが彼に教えを乞うなど、ブルゴーニュの精神的支柱として君臨し続けます。

1988年に第一線を引退後も細々と自家消費用ワインは造り続け、2006年に星となりました。アンリジャイエは、ピノノワールに魅せられ、ピノノワールに愛された男であり続けたのです。

アンリ・ジャイエの功績

「アンリ・ジャイエの造るワインは宝石のようなものばかり」。彼について注目されるのは、手掛けたワインばかりです。

しかし、ワインの業界人や愛好家たちは、彼の存在そのものが、ブルゴーニュのワイン造りに衝撃を与え続けたと口を揃えます。

昔ながらの畑やワイン醸造のあり方を大切にし、有機的な栽培、低収量によるブドウ品質の向上、低温マセレーションなど、近代化するワイン造りとは真逆ともいえる製法にこだわり続けました。

ピノノワールが本来持つ果実味を鮮明に表現したワイン造りに評判が集まり、1970年代から始まった大量生産によるピノノワールの低品質化に歯止めに大きく貢献したのです。さらに、アンリ・ジャイエに影響を受けた若い醸造家たちが、彼の意思を引き継ぎ、現在でも最高峰のワイン造りを続けています。

「ブルゴーニュ」という、最強のブランドに名前負けすることのない、本物の高品質ワインが今も造られているのは、アンリ・ジャイエがいたからといっても過言ではないのです。

低温マセラシオンについて

アンリ・ジャイエは、畑を大切にすることに心血を注いでていたことで有名です。

数千年前から続くブルゴーニュのブドウ栽培を伝統を守り続けることの重要さを、数多くの後継者に語り継いでいたということでも知られています。

そんなアンリ・ジャイエのブドウ栽培ですが、実は最も大きな影響を与えたのが、「低温マセラシオン」です。低温マセラシオンは、簡単に説明すると発酵前のブドウを低温で醸し、果汁に果皮を接触させて果実味を引き出す製法です。

今日のピノノワール種でのワイン造りのスタンダードとして知られる製法ですが、これもアンリ・ジャイエが発明したものです。また、彼は低温マセラシオンに入る前のブドウも大切に扱っていました。

発酵タンクに運ばれた後、ブドウが潰れてしまうのでポンプを使わなかったのです。そして、4~6日の間に、発酵無しでマセレーションを行っていたのです。

タンク内の温度は15度前後にしておき、ルモンタージュをしっかりとしていました。

当時のピノノワールの醸造方法とは、まるで違うやり方であったということで、彼がどれだけ革命的なことを行う人物であったか分かります。

自然のままを守る

実は、低温マセラシオンはブドウにリスクがあるといわれる製法です。多量の亜硫酸を投入しないと、色の出方が悪く、さらに酸化のリスクもあるのです。

しかし、アンリジャイエは品質の高い健全なブドウを使っていたため、1トンのブドウに対し、5%程度の溶液の亜硫酸を1リットル程度の添加で済ましていたのです。

彼の醸造方法は革命的ですが、根本的に「安全で健全、高品質なピノノワール」があってこその製法といえます。

アンリジャイエとリシュブール


アンリジャイエが造っていたAOCワインは、リシュブール、エシェゾー、ヴォーヌ・ロマネ、クロバラントゥです。全て、伝説的なワインであることに間違いはないですが、そのなかでも、話題なのが「リシュブール」です。

2016年にロンドンで行われたオークションにて、アンリジャイエのリシュブール1978年の12本入りケースが、なんと21万1500ポンドで落札されたのです。

当時の日本円に換算すると、およそ3050万円で1本あたり約254万円です。同種ワインでの世界記録として話題となり、ワイン業界に衝撃を与えました。

彼がリシュブールについて生前語っていた言葉のなかに、「リシュブールでは、ブドウが根を伸ばすの苦労している。

表土も薄く、地中深くにある養分までブドウは根を伸ばさなければならないため、複雑な味わいのブドウが生まれる」というものがありました。

豊かさとエレガントさを持ちながらも、力強さも兼ね備えているのがリシュブールの良さ。

リシュブールという場所のテロワールを完全に理解していたアンリ・ジャイエだからこそ、このような最高のワインが生み出せたのでしょう。

21世紀最高の醸造家


(画像出典:kazgoto.my.coocan)
アンリ・ジャイエは、ワインを知るものであれば、誰もが口を揃えて、「21世紀最高の醸造家」というでしょう。偉大な醸造家になるためにはというインタビューには、このように答えています。

「まず、自分の好きなワインを造ること。他人の意見に惑わされず、流行に左右されない。批評精神を持ち、自らの舌も鋭敏になるように鍛える。自分の道を最後まで走り続けること」。

メオ・カミュやエマニエル・ルジェ、シャルロパン・パリゾなど、彼の教えを受け継ぎ、今もなおアンリクオリティのワインを造り続ける、素晴らしいブルゴーニュ地方の若き醸造家たちがいます。

上述した通り、アンリジャイエのワインは、彼の死後、異様な高騰を続けています。

なかなか、その味わいに触れることができない方も多いでしょう。まず、彼の意思を受け継いでいる後継者たちのワインを飲んでみましょう。

アンリジャイエの世界に、少しだけ近づけるはずです。